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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和36年(う)157号 判決 1962年5月08日

被告人 長谷川惣太郎

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金四百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

記録によれば、本件公訴事実の要旨は「被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和三十六年四月二十六日午前八時五十分頃福井四す八六七〇号普通貨物自動車を操縦運転中、勝山市下元祿十四の二十三番地富田太一郎方前道路において、貨物積卸のため数分間停車し再び運転を開始するに当り、同所は市街地のこととて人家が密集している関係上、歩行者等が自動車の傍に寄つて来る虞があるので前方は勿論、左右両側に対しても周到な注意をし、各方同時に何等の危険のないことを確認したうえ、運転を開始すべき業務上の注意義務があるのに拘らず不注意にも運転台に座したまま、前方左右を瞥見したのみで自ら下車して前方死角圏内の安全の確認を怠り、同車直前に山中敏子(当一年)が佇立して居るのに気付かずして運転を開始したため、遂に左側車輪にて同人を轢き頭蓋骨々折脳挫傷に因り即死するに至らしめたものである」(罪名並びに罰条、業務上過失致死、刑法第二百十一条)というのであり、これに対し、原判決は右公訴事実中、自動車運転者である被告人が前記日時場所において、貨物積卸のため約二分ないし五分間位本件道路左側寄りに自動車の後部が富田太一郎方玄関の入口にあたるようにして停車した際、自分は下車せず作業終了と共に発進するに際し、運転席に座したまま前方左右の安全を確かめたが、下車して前方死角内の安全を確認せずに発車し、やや右斜前方に進行を開始したため、同車直前の中央部附近又は左側寄り附近の死角内の車体に接着していたと認められる山中敏子(満一年一月)に気付かず同女を前方(北)によろめかしめて押し倒し、左後車輪にて同女の胸部から頭部を斜に轢き、頭蓋骨々折脳挫傷により即死するに至らしめたものであるとの事実を認定しながら、右結果発生につき被告人に過失があるか否かの点を検討するにあたつては、本件事故現場の位置状況、事故車輛並びに運転席からの見透し状況、事故発生時の状況等を詳細に考察したうえ、右認定の事実から考えると、本件の場合僅か二分ないし五分間の停車中に幼児が一人で前方死角圏内に進入するかも知れないことを予想しえたような状況は何ら認められないとして、本件結果発生の一般的予見可能性は殆ど皆無であり、被告人自身も予見していないのであるから、被告人は本件発進に際しては運転席から前方左右を注視した限度で安全と判断して発車することで足り、運転席から死角圏内にあたる自動車前部中央部附近又は左側寄り附近に接着していたと認められる被害者敏子を見極めるため自ら下車して車体の死角圏内を確認するまでの注意義務はない旨を説示し、結局本件公訴事実は被告人の業務上過失によるものと認むべき証明がないとして無罪の言渡をなしたことは所論のとおりである。

そして、検察官は控訴趣意第二において、原判決が無罪を言い渡したのは事実の認定を誤つたもので、右の誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであると主張するので、本件記録並びに原審及び当審において取り調べた各証拠に基づき以下所論を順次検討することとする。(中略)

然しながら、原審検証調書(二通)に当審における事実取調の結果を参酌すると、被告人運転する本件自動車の前方の死角は、原判決認定の如く運転席に座つたまま普通の姿勢の場合には車体前面中央部附近でバンバーから約七十五糎、左霧燈附近では同じく約九十二糎、又ハンドルを胸にあてて首をのばし出来る限り腰を浮かせた場合には車体前面中央部附近で同じく約三十二糎、左霧燈附近では同じく約五十六糎であり、右の各距離内にいる身長七十九糎(被害者の身長に靴の厚さ一糎を加えたもの)の幼児はいずれもこれを見透すことができないことが明らかであるから、前示のとおり車体前部中央部附近又は左側寄り附近に接着していたと考えられる被害者の位置は本件前部車体死角圏内になるため運転席から前方の安全を確認した被告人の視界には入らなかつたものといわなければならない。従つて、仮りに所論の如く、被告人が発進するに際し運転席で腰を浮かせ又は助手席で中腰になつて前方を注視したとしても、原判示の如く車体に接着していたと考えられる被害者の位置は前部車体死角圏内になるため、やはり被告人の視界に入らなかつたことは前段説示のとおりであるから結局被害者が死角圏外に立つていたことを前提とする右所論も到底採用することはできない。

そこで、さらに、本件自動車の発進に際し被告人が自ら下車して車体の死角内を確認すべき注意義務の存否につき検討してみると、原審で取り調べた各証拠に当審における事実取調の結果を参酌すれば、本件事故現場は勝山市街地の中心部の市道であり、繁華街である本町通りより直線にて約二百米東方の裏通りに位置し、人家の密集した市街地であること、本件現場道路は巾員四・五米の非舖装路で略々南北に約四十米に亘つて直線に走り、その南北端は共に三叉路となつており、その西側には道路に接し人家が三軒建ち並び、また、その東側には測溝があつてその外側に人家が五軒建ち並び、富田太一郎宅は南端より約十七米進んだ西側(左)の二軒目で北端より約二十二米進んだ西側(右)であること、被告人は昭和三十六年四月二十六日午前八時五十分頃本件自動車を運転して本件道路南端より進入北進し、富田太一郎方前に二分ないし五分間位停車後発進していること、本件現場附近(徒歩三分位のところ)に在る西小学校に通学する児童は必ずしも本件現場道路を通るとは限らないが、中学生や高校生は多く本件道路を通学に利用するので登校時並びに下校時にはとくに人通りが頻繁になること、本件道路両側の人家は、その大部分が右道路に面して出入口を設けているため、附近居住の幼児等が昼間該道路に出て来る可能性があり、特に自動車の通行又は停車している際は、幼児の好奇心をそそるため、その可能性が大であること等の諸事実が認められるのであるから、かような状況にある街路上に被告人が前記判示日時頃二分ないし五分間停車し、更に発進するに際しては、とくに前方の死角圏内に注意し、幼児等の立入りその他の危険を警戒するため、車内よりの安全確認のみに頼ることなく、進んで自ら下車して右死角圏内を確認したうえ発進すべき責務があるものといわなければならない。従つて、被告人は右の如き注意義務を怠り、客観的に当然予見せらるべき危険を予見せず、危害の予防に何ら考慮を払うことなく、自ら下車して結果回避のための手段を講じないで発進したものであることは証拠上明らかであるから、被告人の所為は業務上の注意義務に違反したものといわなければならない。

果してそうだとすれば、被告人に対し業務上過失によるものと認むべき証明がないとして無罪の言渡をした原判決は事実を誤認し、ひいて注意義務に関する判断を誤つたものというべく、右の誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから論旨は結局理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

よつて控訴趣意第一に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に従い当裁判所において自ら判決する。

罪となるべき事実は理由冒頭掲記の本件公訴事実の要旨と同一であるからここにこれを引用する。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二百十一条前段罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するから、所定刑中罰金刑を選択し、その所定罰金額の範囲内で被告人を罰金二万円に処し、右罰金を完納することができないときは刑法第十八条により金四百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に従い全部被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 山田義盛 堀端弘士 内藤丈夫)

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